なんとなくな わたし だから

なんとなくいきてる私の、なんとなくな日常

救いを求める相手は 神ではない

 映画 スポットライト 世紀のスクープ

 を見て。

 

 

 

 わたしの家庭も、また同じ国籍の人々も、キリスト教です。カトリックプロテスタント、そして日本人には馴染みのない宗派、エヴァンジリカ(発音が正しいか、わかりませんが💦)

 

 主にこの三つ。

 

 よくキリスト教は、カルトではないという認識かと思うんですが、わたしからしたら十分にカルトです。

 不気味ささえ感じるほどの排他性。違うことに関する不寛容さは、吐き気さえ感じるほどです。

 

 わたしは、異端児でした。

 小さな頃から、ずっと宗教を拒否して生きてきました。ある時、神父に、

 

 君は本を読みすぎる。

 

 と、言われた時に、子供ながらに確信しました。彼らは馬鹿な人間を好むのだと。わたしが知識をつけることを、嫌がっている。

 

 わたしたちの国籍の人々が、何故、宗教を求めるのか?

 貧困、夫婦関係&家庭での問題があります。問題と向き合う勇気はないんです。

 だから、神が、宗教が必要なんです。

 

 わたしの同僚の夫は、とんでもないモラハラ夫ですが、彼女は彼と正式に結婚したいと考えています。

 

 何故か?

 

 それが宗教的に正しいからです。

 わたしからしたらとんでもない話なんですが、熱心な信者ですから、籍を入れるでしょう。

 

教えられることは、抑圧です。

 

 彼女は夫から虐げられていますが、彼女は広い心で彼を受け入れ続けなくてはいけません。きっと死ぬまで。

 子供たちは機能不全家庭で育ちます。今だけでも十分に辛い家庭環境なのに、それがずーっと。子供たちも、抑圧を教えられるんでしょう。

 

教えを盲信している彼女には、何も言えません。神の教えを、わたしに話してきますが、ただ頷いて聞くしかありません。否定すれば、面倒な事になるからです。面倒ごとは、こりごりです。

 

 わたしがキリスト教が嫌いな理由には、男尊女卑の思想があるからでもあります。

 

 日本でも、今、男尊女卑についてあれやこれやと言われていますが。

 

 教会内は、男尊女卑の世界といっても、間違っていないはずです。フェミニストが発狂するレベルで酷いものです。

 

 同性愛者に対する差別は、半端ではありません。差別しないと口にする人間に対しても、十二分に警戒すべきでしょう。

 一度、同性愛者であることが知れたら、裏でゴシップネタとして扱われ、人と思ってもらえず、すきあらばアダムとイブの話を始めるでしょう。バカバカしい。

 

 自分たちも外国人として、差別されてきて、辛い思いをしてきたのに、同性愛者を差別するの? と問うと、する、と即答された時は、言葉を失いました。

 

 自殺した人を、馬鹿にします。

 亡くなった人に対しても、あまりにも失礼すぎる態度です。

 

 自殺? 馬鹿みたい

 自分から地獄に落ちることをするなんて。と、心底バカにした顔をして言い放った時は、唖然としました。

 

 日本人ではどうか分かりませんが。

 わたしたちの国籍のキリスト教信者には、十二分に気をつけた方が良いのは確かです。

 いかにも善人に見えても、心理学やサイコパスについての本、モラハラに関しての本で、知識を身につけて、上手く心を守った方が、身のためです。

 

 特にフレンドリーな女性。まるで喋るために生まれてきたような人は、危険人物です。彼女たちの拡散力は凄まじいものです。決して軽はずみに、自分のことを話してはなりません。特に辛い話は。

 誰かの暇つぶしとして使われ、上から目線のアドバイスに心を潰されるだけです。

 

 今でも、宗教関係で苛立つことはありますが、大分、安穏としていられる時間が増えました。傷つけられることも、悪魔と言われることも、異端児として指さされることも、なくなりました。

 

 救いを求めるなら、神にではなく。

 自分自身に求めた方が良い。

 

 少なくとも、毒にはなりませんから。