なんとなくな わたし だから

なんとなくいきてる私の、なんとなくな日常

映画 【栄光のランナー】 差別は痛い

 

 栄光のランナー 1936ベルリン : 作品情報 - 映画.com

 

 わたしは映画が好きです。が、どんな話なのか、まとめるのは得意ではないので、どんな映画なのかは、上のリンクで分かると思います。

 

わたしの母は黒い

 

 わたしの母の肌の色は黒いです。黒人ではありませんが、黒人の映画を観ると、なんというか、親近感が湧くんです。

 

 わたしは父の肌の色に近くて、顔もがっつり日本顔。

 なので、日本語を流暢に話すわたしを誰もが日本人だと、思うんです。

 わたしが事故に会った時は、警察官と母が揉めに揉めたりしたんですよ

 

 警察官 だから、事故にあったのは日本人なの!

 

 母 チガウ! ワタシノムスメ!!

 

 そんなわたしも、差別にあいましたし、これからもそれは続くと思っています。

 大人になった今、差別を目の当たりにすることは滅多にありません。

 例えば、こんな時以外は。

 

 相手がわたしを日本人だと思っていて、なのにわたしが別の言語を話しはじめたり、あるいは母が登場して、 相手の態度が一気に雑になった時。

 外国人というだけで、下に見ても良いと安心して見下してくる。

 でも、きっとわたしの母が白人でわたしの肌色が白かったなら、こんなことはないだろうし、あるいは日本人と認識されたままなら、こうはならなかったでしょう。

 

 わたしの顔は日本人顔ですし、主言語は日本語です。日本の幼稚園から高校まで、そして外国人コミュニティに属さずにここまで生きてきました。

 

 子供の頃、わたしは日本人には外国人と指さされ、しかし、わたしの国の人々からは、日本人だと指さされ。ですから、日本人コミュニティにも属さずに、属せずに、生きてきました。

 

 わたしは、どこにも所属できないままでいます。いつも異端扱い。

 

 わたしは日本しか知りません。

そういう話をすると、なあんだ! ほとんど日本人じゃん! と反応されますが、これも辛いんです。

 

 日本人家庭と、わたしたちの家庭の教育の違いがある。特に親が日本社会なんて知らない! となると、溝は大きく、深い。

 日本人として扱われると言うことは、お前はこんなことも知らないのか!! とバカにされることに繋がることになるということでもあります。

 

 わたしは日本について、あまり知らず。かと言って、わたしの国に染まることもできない。

 

 日本人なのか。

 そうじゃないのか。

 

 自分でもわからないままです。

 

誰の心の中にも差別する心はある

 

 どの国の人にも、差別する人はいるし、教養の片鱗さえなくして、自分の浅ましさを表に出してくる人もいる。

 

 日本人も。わたしの国の人も。世界中の人々も。

 

 差別は痛い。

 人間扱いされていない。人権という言葉が死ぬ瞬間でもあります。

 

 わたしの育ちも、わたしに向けられてきた差別も複雑なため、ひとつの記事で全ては書けないけれど。

 

 こういう経験があるため、わたしは無条件に差別が嫌いです。人々が罵られたり、バカにされたり、することを好みません。

 

 自分たちと違う

 

 というだけで、差別が正当化されていいわけがないのです。

 

 差別が、差別を呼ぶんです。シンプルですね。とても。

 

 経験は大事だと言います。

 わたしも、それには同感です。

 心を傷つけられた人は、人を傷つける人になることだってある。

 

 わたしの中には、差別が蒔いた憎しみの種があるんです。これを、どう扱っていいのか、分からなくなる時があります。

 

 差別された、その瞬間が過ぎても。

 わたしの心は、苦しんでいます。時々、息苦しくなります。

 抗いたくて、わたしを傷つけたお前も、傷つけと手をあげるところを、想像したこともあります。

 

 この映画を観て、わたしはいつかこの憎しみを手放せる時が来るのか、自分に問いかけました。

 

 答えは、

 

 わからない。

 

 きっと、答えなんてでないんでしょうね。ずっと。