なんとなくな わたし だから

なんとなくいきてる私の、なんとなくな日常

微かに記憶に残っていたこのブログと猫との最期


  ◆ 微かに記憶に残っていたこのブログ     

 

  日々の忙しさに抹殺されていて、なんてことはなく、書こう、書こうと思っていたけれど、アイフォン依存がドラッグレベルで酷くて、気づいたら時間が過ぎていて書かずじまいだったのがこのブログ。
  サム&キャットを見ながら、このブログを書いている。

 

  ◆ 猫との最期       

   私には2匹の猫がいる。1匹目は野良出身のキジトラ。2匹目も野良猫出身? と思われる白猫。何故、思われると曖昧な書き方をしたのか。

それは、私が彼を迎えた時は既に5歳or6歳だったこと。元飼い猫だったのでは? と疑うように人懐っこいこと。捨て猫なのか、それとも外飼いの子だったのか。無責任餌やりによって生きながらえていただけなのか。もう、これ、全部、憶測なのだけれど、その彼が余命宣告をされた。

もって1週間の命。

だそうだ。

この子は出会った時から白血病キャリアだった。ウィルス検査をして、白血病だと知り、帰りの車の中で泣いたのを覚えている。

 君は私の家で死ぬんだよ。
 私が君を看取るからね。

そう話しかけたら、ナアと一鳴きしたのを昨日のことのように覚えている。もう2年前のことなのに。

  悪性リンパ腫が原因で、この子はもうすぐあの世へと渡ってしまう。これまでに胸水を2度抜いた。3度目はないだろう。

  この子を迎えた時、この子がごはんを自分から食べなくなったら、強制給餌をしない。自然にそのままと考えていたけれど、そんなことは出来なかった。食べないと心の底から心配になる。ただその強制給餌は今日で終わりだ。短い間の強制給餌だった。

  私が強制給餌をやめると決めた理由。

  もう二度と猫との関係再構築をすることが出来ないから。

  例えばこれから先、この子が一年生きるとしたら、その間に強制給餌をしなくていい期間があれば、私はもう一度猫との関係構築を図ることができる。けど、そうじゃない。

  不治の病ではなくて、完治できる病で、これから先何年も生きるのなら、上に同じ。
けどそうじゃない。

  嫌な事を最後の最後まで、やり続けて、大好きな人から嫌な事をする危険な人なんて猫に思われながら、さよならするなんて嫌だ。実際に、避けられ始めている。
甘えたいのに、甘えることにも躊躇するようになった猫を見ていると、ここまでだと思った。

 

   猫だって本当は食べたい。キジトラのフードをじっと見つめている。僕も昔はこれを食べていたんだ。固いものを食べていたんだ。今だって、本当は食べたい。でも、口に入れると気持ち悪くて吐き出してしまう。仕方ないから、水だけ飲もう。
そんな感じで、水だけを口に入れる。
飼い主の私だって、食べて欲しくて仕方ない。でも、もう猫の体は食べ物を受け付けない。悲しい現実。逆らえない現実。やせ細った体。触ると骨が手に当たる。頭蓋骨の形がわかってしまいそう。呼ばれても動くことが出来ない体。

本当はもっと長く生きてほしい。
でも、もういいよ。十分に頑張りました。二年間ありがとう。

  毎日、伝えている大好きだよ。私のところに来てくれてありがとうをもっと伝えたい。伝え続けたい。最後のその日まで。

  生は止まってくれないんだね。
  この子と子猫の時から一緒にいれば、8年は一緒に過ごせたのにね。もっと一緒に過ごしたかった。